勝手な理由づけ・解釈の正体

 

「バルコニーに鳥がとまっている」

 

ただ、それだけの事実なのですが、

 

その時の精神状態によって、その事実の捉え方は変わってきます。

 

 

15年も前の事ですが、当時お付き合いした方と泣く泣く別れることになり、 でも未練があった私は 毎週末自宅で引き篭もっていました。

 

誰とも会うことはないし、言葉も発することのない週末を何ヶ月も過ごしていました。

 

余りにも部屋が静かなもので、鳥がよくバルコニーにとまっていました。

 

そう。ただ、鳥が休憩しにバルコニーにやってきた。 

たったそれだけの事です。

 

ですが、精神的に落ち込んでいる人の頭の発想はこうなります。

 

「あ~、私の部屋は人間の気配がないくらい寂しい部屋なんだ・・・。」

 

「鳥にも気づかれないくらい、私のオーラはないんだわ・・」

真剣にそう思っていました。

 

その鳥が、いつの日かツガイを連れて、必ず2羽でバルコニーに訪れるようになってからは、私の寂しさは倍増し、発想は更にエスカレートします。

 

「鳥でさえパートナーがいるのに、私はふられて一人ぼっち。 あぁ。なんて惨めなのだろう・・・。」

 

「私はこのままずっと一人に違いない・・・。」

 

「私はもう誰にも愛されないのだ・・・。」

 

 

 

なんと言うことでしょうか。

 

 

「バルコニーに鳥がとまった。」 ただ、それだけの事なのに、

私のストーリーはどこまでも悪い方向に進んで行きます。

 

今でこそ、自分で勝手に惨めなストーリーを描いていただけだと分かりますが、当時の本人は至って真剣です。

 

自分が、自分自身で作った悲劇のストーリーに嵌ってしまうと

なかなかそれに気付けないことがります。

 

因みにその後、今の生涯のパートナーと出会うまで、

10年の歳月がかかったのですが、

 

出会って間もない頃、バルコニーに止まっている鳥を見ては、

  

「私の部屋の波動が良いから、鳥さんもやってくるのね~♪ なんて可愛いんでしょう。 ラララ~」に変わりました。

 

完全に浮かれた状態ですね(笑)。

 

 

物事を良い風にとらえて、幸せに感じるのは何よりとして、

 

 

どうも人は心が不安定だと、出来事に感情をくっつけて自分なりに解釈してしまう癖があるようです。 

 

ただ起こった事実を受け入れる。 

 

それだけで良い筈のですが、

 

「どうしてこんな事が私に起こったのだろう」 とか

「私がOOだからいけないのだ」 

「あの人がOOだからこうなのだ」 

 

このような考え方の癖がある限り

その問題だけがみるみる勝手に膨らんできてしまいます。

 

ですが、その事実そのものは何の問題もないのです。

ただ、私たち自身のものの見方や考え方が問題なのかもしれません。

 

 

さて、先日もまたバルコニーにとまっている鳥を見つけました。

 

 

くちばしが黄色くて可愛いなと思いました。